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国境なき医師団(MSF)への入団から約8年、白川は手術室看護師として、世界中の紛争地の現場から現場を渡り歩く日々を続けてきた。患者に寄り添うという看護の原点を常に忘れず、医療の最前線に立って。しかしある時、彼女は自身のキャリアについて大きな決断をする。それは、かつての自分のようにMSFへの参加を夢見る新しい人材の発掘を担う採用担当への転身というものだった。白川に採用され、仲間となったMSFのスタッフの多くは今も現場で活躍している。
MSFの現場は困難なことだらけだけど、希望もたくさんある。救える命がたくさんある。自分たちを待っている患者がいる。そう信じて白川は再び現場に赴き、これからもそこで出会った人びとの、声なき声を伝え続けるだろう。
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白川がMSFの存在を知ったのは7歳の時だった。世界情勢を報じるテレビで「国境なき医師団」の文字を見た時に受けた衝撃は、今でも忘れていない。
看護師になってから数年後、MSFがノーベル平和賞を受賞したニュースを聞き、すぐに派遣希望者向けの説明会に参加した。英語力に自信がなかった白川は、一念発起してオーストラリアに留学して看護資格を取得し、経験を積む。努力の末、7年後にMSFに応募し採用された白川は、すぐに紛争地の看護師としての道を歩み始める。
病院が空爆の危険にさらされる中、血だらけの患者が次々と運び込まれてくる手術室。時として危険が迫り退避という判断を迫られる厳しい現場で、白川は何を感じてきたのか。
(特別ゲスト:MSF活動責任者・落合厚彦)
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Zijn er afleveringen die ontbreken?
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野坂が夢と期待に胸を膨らませて挑んだ初回派遣の地、南スーダン。到着後に任された大きな仕事の一つが、数百人の現地採用スタッフに対して現金で給与を支払うという慣れない仕事だった。
アドミニストレーターとして医療援助活動を支える大切な仕事にやりがいを感じながらも、日本と現地のビジネス文化の違いに戸惑う野坂。彼はどのようにして人々との信頼関係を築くことができたのか?
MSFが、その重要な活動原則の一つである「独立性」を確保できるのは、その資金が世界中の寄付者に支えられているからである。その大切な資金の運用を現場で任されている野坂が、MSFの魅力を語る。
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親の仕事の関係で若い頃をケニアとタンザニアで過ごした野坂。カナダの大学で経済学を学び、日本に帰国後、外資系金融機関に就職した。そこでビジネス・パーソンとして成長したが、やがて「本当にこれが自分のやりたかったことなのか?」と疑問を感じるようになった。国境なき医師団(MSF)のスタッフと運命的な出会いを果たしたのは、そんなころだった。MSFの世界に強い関心を抱いた野坂は、すぐに関連書籍を購入し、当時開催されていたMSFの写真展に足を運ぶ。そして、これこそが自身の天職だと確信する。
今の仕事に不満がある訳ではない。しかし「本当にやりたかった事をやる」と決めてからの決断は早かった。育った環境や学んだ学問、培ったビジネスの経験を活かし、野坂はMSFへの入団を目指す。
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初回派遣地の南スーダンの空港に降り立った李。紛争を逃れた多くの国内避難民が暮らす文民保護区が、初の勤務地だ。そこではケニア人の熟練の助産師たちとのチームワークを通じ、物資が不足する現場での産科医療を学んだ。
派遣を重ねる中、アフリカでは出産がいかに命懸けなものかを痛感する現場に数多く立ち会う。妊娠中にマラリアに感染し、陣痛を訴えながら命を落とした10代の妊婦。自分の体への負担を覚悟の上で10回も妊娠する母親、そしてその切実な背景。
日本では当たり前の事が、当たり前ではない世界。困難な現場で様々なジレンマを感じつつ、産婦人科医として李が活動を続けるその理由とは?
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産婦人科医を志したきっかけは、医学生と研修医時代、帝王切開の現場に立ち会った時の感動だった。
その後、長崎で熱帯医学を学び、世界には顧みられない病気がある事を知る。また、当時働いていた大学病院では中東出身の妊婦を見る機会があり、さらに当時、中東で「アラブの春」が起こる中で、李は海外の産科医療の実情に強い関心を抱いた。日本では考えられないような理由で、世界では出産の際に命を落とす妊婦が多くいるという事に衝撃を受けた李は、やがてMSFへの入団を目指す事となる。日本と世界で活躍する産婦人科医として、李が自身を突き動かすものについて語ります。
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末藤の初回派遣地は90万人のロヒンギャ難民が身を寄せるバングラデシュ。2018年のことだった。当時で最大規模のプロジェクトの一員として、次々と到着・帰国する海外派遣スタッフの渡航手配を一手に引き受ける役割を担う。懸命に生き抜く難民の姿を目の当たりにし、志を共にする多くの仲間たちに出会い、医療人道援助の意義を深く心に刻んだ。
2023年、プロジェクトのリーダーとして内戦下のスーダンへ。戦闘の最前線と化した首都ハルツームの病院で、末藤は最小限の人員と資源で活動の継続を決意。末藤はどうやって、迫りくる戦闘と武装勢力から病院を守ることができたのか。
極限状態の現場のリアルを、末藤が語ります。
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幼少期を海外のインターナショナルスクールで過ごし、9歳で日本へ帰国した末藤。
異文化の狭間で育った彼女は、高校時代にイギリスのサマースクールに参加。そこで出会った現地の医学生の国際感覚に強い影響を受け、将来、自分も世界のために何かしたいという想いが芽生える。
日本の大学に進学し、1年間の留学や日本の国連機関でのインターンを経験。国際社会で活躍することへの志をさらに深めた。そして、プロフェッショナルとして国際人道援助の最前線に立つことを決意する。
若くして国際的な感覚を身に着けてきた彼女は、なぜ国境なき医師団への参加を志したのか。末藤が語ります。
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西村の初回派遣地はブルガリアの予定だった。しかし、中継地点のギリシャに到着すると、突如その計画が変更となり、ギリシャに留まり、そこで働く事に。新たな初回派遣地となったギリシャで西村を待っていたのは、暴力を受け命がけで地中海を渡ってきたアフリカや中東からの難民や移民でした。意識を失った状態で運び込まれる人。妊娠中の女性。
さまざまな人びとが助けを求めていました。次々と患者が運ばれ続ける過酷な状況に、西村も次第に疲弊し、限られた医療資源の中で公平な医療提供の難しさを痛感するようになります。
想定外の初回派遣地でどのように対応し、どう困難を乗り越えたのか。西村が語ります。
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幼い頃から医師である父の背中を見て育ち、内科医の道へ進んだ西村。地域医療に従事する中で、より広い視野で社会全体の健康に関わる公衆衛生学への関心を持った。その後、シドニー大学で公衆衛生学を学ぶためオーストラリアに留学。そこで「公平性」という概念に触れ、その重要性を実感するとともに、集団全体への視点や予防の重要性も深く理解するきっかけとなった。以前から関心のあった国境なき医師団への応募に一歩踏み出すことをためらっていた西村。応募のきかっけとなったこととは?
そして、活動をする中でどのように日本でのキャリアを両立させているのか。こうした点を村が語ります。
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初回派遣のマラウイのマラウィ共和国に到着早々、ワクチン接種のチームに組み込まれた松本。各地に設置された接種会場に、一斉に大量のワクチンを届けるためには段取りが全てだ。40~50台の輸送車両の指揮という大役を任された松本は、準備に余念がなかった。村人たちにも既に周知徹底されている。だが接種日の数日前、町全体からガソリンがなくなる事態に。
このピンチを松本はどう切り抜けたのか?
チーム一丸となって困難を乗り越えた時の達成感は代えがたいものがある、と語る松本。しかしそのためには、現地スタッフたちとの信頼関係を築くことが不可欠だ。外国からやってきた20代の若いマネージャーとして、いかにしてチームを束ねる事ができたのか。
あれから約15年―。
家族と時間を過ごすため現場を離れた松本だが、今、父として子どもたちに伝えたい事とは…。
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松本は2010年から、11回の海外派遣と東京での国境なき医師団事務局勤務を重ねてきた。しかし若い頃、自分が海外で働くことになるなど、夢にも思っていなかった。それも医療・人道援助活動の現場での縁の下の力持ち、ロジスティシャンとして働くことなど。
高専を卒業し、やがてエンジニアとして国内の医療機器メーカーで働くさなか、カナダに住む姉を訪ねた。そこで松本は気づく。
「世界は広い。自由に生きてもいいんだ」
その後、父の薦めもあり国境なき医師団に応募し、採用された。アフリカ諸国や中東諸国などいくつも海外での活動に参加した。
次の転機は、結婚と、子どもの誕生だ。これをきっかけに、松本は日本国内での仕事にシフトすべく、東京の国境なき医師団事務局で人事スタッフとしての勤務を始めた。
やがて、子どもの成長とともに東京を離れて家族で長野に移住。現在は大工として生計を立てている。どこにいようと、どんな仕事をしていようと、世界で起きていることに常に注意を払うことが大切だ、と松本は訴える。
国境なき医師団では、ライフステージに合わせて働き方を変えていくことも可能です。
このエピソードでは、それを自ら実践してきた松本が語ります。
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派遣地の中東イエメンに降り立った大田。MSFへの参加という夢をかなえた彼女は、高揚感に包まれていた。現地の医療へ貢献する意気込みで臨んだ活動。だがそこには日本では見た事もない深刻な栄養状態の子どもがいたり、慣れ親しんだ機材や医薬品が不足していたりという現実が待っていた。自分のスキルや知識が足りないという焦りと無力感にさいなまれる大田。
やがて彼女は仲間から「分からないことは現地スタッフに聞くと良い」と助言を受け、学びの姿勢に気持ちを切り替える。そして原点に立ち返り、実践していたとある心がけが、いつのまにか現地の医師の手本となっていたことを知る。
このエピソードでは、日本と派遣地のギャップをどう乗り越えたのかについて大田が語ります。
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幼稚園児の頃、サンタクロースに託した一通の手紙。「自分はプレゼントはいらない、その替わりに…」
世界に対する関心を持ちつつも、理系が苦手な大田が選んだ就職先は、開発コンサルタント会社だった。やがてフィールドに出て、より直接「人間」に寄り添った仕事につきたいという気持ちが芽生え、医師への転身を決意。国際医療援助の現場で働く夢を諦めず、小児科医を目指す中で参加したMSFの説明会。同じ志を持った仲間たちとの出会い。
国境なき医師団の現場で必要なスキルと経験値を身に着けるために、大田はどのような計画を立て、それを実行したのか?
このエピソードでは「夢を叶えるために必要な力」とは何かについて、大田が語ります。
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国際クルーズ船でのコロナ対応を経験し、自信をつけた佐藤。その経験を買われ、いざ初回派遣地のイラクへ。彼を待ち受けていたのは患者の治療だけではなかった。コロナ対策のための現地スタッフの採用活動からマネジメントまで、多岐にわたる業務があった。休む時間も無く突っ走った佐藤が、エネルギーを持続させた秘訣とは?
その後、スーダン内戦下の難民キャンプで集中治療室のプロジェクトに派遣された佐藤。苦しい決断を強いられるトリアージの現場。痛みに苦しむ一人の少年との出会い。なぜ彼はこんな目に合わなくてはならないのか?
このエピソードでは人々の苦しみに向き合いながらも見出した「やりがい」とは何かについて、心理士の福島と語り合います。
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野球青年だった佐藤が看護師を志したきっかけは、仲間のけがの治療に貢献したいという思いだった。やがて救命救急の看護師となり病院に勤めるかたわら、東日本大震災の現場に参加。次は海外での援助活動に挑戦したいという気持ちから一念発起。海外でのワーキングホリデーを通じて英語力を磨いたものの、帰国後に参加した国際船の現場で立ちはだかった言語の壁は高かった。そこから、佐藤はどうやって国境なき医師団の現場で通用する語学力を身に着けたのか?
このエピソードでは、スキルアップを含め、国境なき医師団でキャリアをデザインするとはどういう事なのかについて佐藤が(福島と)語ります。
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このポッドキャストのホストを務める国境なき医師団の心理士、福島正樹。
彼はなぜ国境なき医師団に参加したのか?
そもそもなぜ彼は心理士を志すようになったのか?
そして国境なき医師団に採用されるまでの道のりは?
このエピソードではこのポッドキャストの趣旨や目的、そして福島自身のキャリアについて語ります。
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